<一句鑑賞>

    煮こごりと箸にかからぬ「私」と    下峠ゆう子 

 

 面白い捉え方がまず目を引いた。自嘲とも自負ともつかぬ感じを〈煮こごり〉が代弁しているようだ。ゆうこさんの句材への視点はオリジナリティがあっていつも想像が膨らむ。煮こごりと

私が並列にある意外性と可笑しみ。私も「」で囲った私。〈煮凝り〉と漢字でもよい気がしたが平仮名の方が柔らかくて箸にかからぬ感じは出るかもしれない。

 

           ~令和6年 夕凪4月号~   

                            (水内 和子)

 

       

              


     読み止しの本鞄にも炬燵にも     菅原 理恵

 

 読書の秋という季語に近い言葉があるが、本好きにとっては季節を問わない。持ち歩く鞄の中には読み止しの本があり、机の上には積ん読の本を含めて置いてある。季語が必要だから〈炬燵〉だが、ここにも本がある。炬燵が出されている限り読了の本が積まれる。

 

          ~令和6年 夕凪3月号~   

                            (飯野 幸雄)

 

 

photo 石川レイ子
photo 石川レイ子

   秋うらら野風呂の果ての薩摩富士   矢野いつゑ

 

 

 薩摩半島の南端にある開聞岳はその形から薩摩富士といわれる。その薩摩富士を遠くに望む野天の風呂があるのだろう。

開聞町は湯の町指宿の一部であり温泉があり得る。秋うららとあるから、気持ちの良い秋空の下、存分に温泉を楽しんだのだ。

 

                 

                            (飯野 幸雄)

 

 

 

 


    ひだるきと恋しきは似て烏瓜   下峠ゆうこ

 

 ひだるさは空腹のこと。ひだるさと恋しさが似ているという感覚。最初読んだときは「?」と思ったが、自分を何かによって満たしたいという欲求は確かに共通しているかもしれない。〈烏瓜〉の季語の斡旋も何だか納得させられる。食べられはしないけど怪しげな朱色の実はどうしようもない人間の本能を想起させるようにも思う。

 

            ~令和6年夕凪1月号~

                          (水内 和子)

 

 


   仏桑花とまれ訪ふ真珠湾    佐伯 三葉

 

 ハイビスカスは米国ハワイ州の州の花だという。州都ホノルルに太平洋戦争の緒戦となった真珠湾がある。

作者は、とまれ=とにもかくにも真珠湾を訪ねたとだけ書いた。

湾内には沈められた戦艦の上に慰霊の施設がある。広島の原爆慰霊碑と比べられることがある。ともかくも行って見なければ比較しようがないと思い立ったのだ。

                          (飯野 幸雄)

 

 

 


   十三夜ゆるゆる外す腕時計    下峠 ゆうこ

 

〈十三夜〉は美しく華やかな十五夜の名月と違い少しものさびた感じのする季語だ。腕時計を外す時は時間に縛られた一日を終えて自分を解放している感覚を覚えるもの。〈ゆるゆる〉が心身ともに緩んでゆく感じが上手く出ている。季語の〈十三夜〉も甘くなくて効果的。

                          (水内 和子)

 

 

 

 


  古民家の三和土まだらか送り梅雨    佐伯 三葉

 

 〈まだらか〉は、「まだら模様」がはっきりしている事だと言う。

古民家の玄関を入ると三和土の土間が大きく広がる。三和土は乾けばコンクリートの床のようだが、濡れるとその部分は色濃くなってまだら模様となる。梅雨のおしまいの送り梅雨の時期。

三和土は濡れる事も多く〈まだらか〉な状態が続く。

 

                             (飯野 幸雄)

 

 

 


     夕焼の窓連ねゆくジーゼルカー    尾関  香

 

 芸備線やかっての可部線を思い出した。幼い頃母の故郷を訪ねる時に乗った夕焼のジーゼルカーが浮かぶ。〈窓連ねゆく〉に臨場感があり、窓ごとにいっぱい夕日を浴びて山間を音高くゆく車両。作者の眼裏にある景かも知れない。郷愁を感じさせる句と思う。

                      (水内 和子)

 

 

 


   木下闇小町の墓はこの辺り    廣藤 景子

 

 小野小町は平安時代の歌人で三十六歌仙のひとりだが謎に

包まれていて、全国各地に小町の墓があるらしい。その一つを訪ねたのであろう。木下闇の中にあるらしいのだが見つからない〈この辺り〉という漠然とした墓所も小町の墓らしくて面白い。

〈木下闇〉〈小町〉〈この〉と頭韻を工夫した。

 

                         (飯野 幸雄)

 

 


  コサージュの雄しべの覗く春コート    齋藤 靖恵

 

 軽やかな春コートにコサージュを付けて久々の外出だろうか。

中七の〈雄しべの覗く〉により少し大きめの華やかな花の飾りを想像した。コロナ禍で外出もままならぬ三年間であった。自由に人と出会い語らえることのできる喜びが〈春コート〉に表れている。〈コサージュの雄しべ〉にフォーカスしたのがよかったと思う。

                         (水内 和子)

                         

 


   流し雛離して思ふことあまた    田村ひろこ

 

 大竹市を流れる木野川で毎年〈流し雛〉が行われていた。

内裏雛を流すのではなく、紙雛か折紙の雛であることが多いが、元々は形代に託して罪・穢れを流す「祓え」の行事だった。

だから流し雛を流れに押し出した後も罪穢れについて〈思ふ

ことあまた〉だった。

                         (飯野 幸雄)

 

 

 

 

 


  ダイヤモンドダスト十勝の朝の息    菅原 理恵

 

 

 ダイヤモンドダストの実景は見たことがないが日の光を浴びた景は何とも美しいことだろう。〈十勝の朝の息〉はダイヤモンドダストの息とも作者の息とも取れる。幻想的な自然現象に出会えた旅の感動が伝わってくる。〈朝の息〉によって静寂も感じさせる句。

                        (水内 和子)

 

 

 

 


   越年の戦火の街や朝陽さす    佐伯 三葉

 

 ロシアの仕掛けた戦争が新年を迎えても終わらない。自然は戦争・紛争は関係なく朝になれば陽が上がる。日にちがたてば戦争は終わるはずだが、ますますエスカレートするばかりで無差別に砲撃が続いている。ひとりの男の妄想が疎ましい。

                           (飯野 幸雄)

 

 

 

 


    くねりゆく貨物列車や干布団    尾関  香

 

〈干布団〉の季語が線路と家が近い近郊の景を想像させる。

〈くねりゆく〉も貨物列車の蛇行しながら音を響かせてゆく感じをリアルに表現していると思う。〈貨物列車〉と〈干布団〉の質感の

取合せも絶妙。〈干布団〉によって冬の日差しの暖かさを感じることもできる句。

                        (水内 和子)

 

 

 


  予後の身の娘の笑顔金木犀     品川 映子

 

「予後の身の笑顔」とあればほぼ完治なのであろう。

合わせた季語が香りの高い〈金木犀〉なので満面の笑顔が想像できるし、また「金メダル」をも想像させる。気分が良い。

                           (飯野 幸雄)

 

            ~2023年 2月号より

 

 


  交番の静かなる灯や銀木犀     齋藤 靖恵

 

 〈交番の静かなる灯〉の措辞がこの騒がしい世の中でほっと平和な夜を想像させてくれる。銀木犀は金木犀より香がおとなしい気がする。夜道を帰りながら木犀の香と交番の灯に出会ったのであろう。季語がフレーズに優しく寄り添っている句である。

                         (水内 和子)

 

            ~2023年 1月号より

 

 


    夾竹桃わが奥処に少年棲み   中村 峯子

 

〈夾竹桃〉と「奥処に棲む少年」とは何の関係もなさそうだが、

夾竹桃の花言葉は「注意・危険・用心・油断大敵」など。

奇麗な花だが有毒であるために成立した花言葉であろう。それは「少年・少女」の持つ危険さと相通じる。作者も心の奥底に「少年が棲」んでいるという。作者に限らず誰しも持っているのではないだろうか。

                         (飯野 幸雄)

 

 

 


   似顔絵は眉をデフォルメ敬老日   小林 昭博

 

 着眼点が面白いと思った。似顔絵は人物の顔の特徴を上手く摑んで成程と思わせくすっと笑わせてくれるもの。〈敬老日〉の季語も適当だ。独特の眉の持ち主なのであろう。眉に着眼点を持ってきたのも成功していると思う。敬老日のプレゼントだろうか。作者はデフォルメされた眉に苦笑しているのでは。

                             (水内 和子)

 

 

 

 

photo      大津洋子
photo 大津洋子

  紫陽花の青こそ佳けれ青愛す  有田 幸恵

 

 

 この句には作者の主張が明らかで、読者は好き嫌いで判断するほかない。普通「佳けれ」とか「愛す」などの感情語は俳句では避けることになっているが、俳句に使ってはいけない言葉は原則として無い。作者は〈青〉が良い。〈青〉を愛すると言い切って読者に付け入る隙を与えない。これも俳句。

                           (飯野 幸雄)

 

 

 


   木漏れ日の匂ひ仄かに春惜しむ  瀬戸けい子

 

 木漏れ日に匂いを感じた感覚に共感した。

日毎木漏れ日も光を増して木々のそよぎに応えている様だ。

若葉の匂いとも日の匂いともつかぬ仄かな匂いに作者は木漏れ日と遊びながら春を惜しんでいるのだろう。中七にさりげなく惜春の思いが出ている。

                       (水内 和子)

 

 

photo   浜田幸子
photo   浜田幸子

  弥次喜多もふらりと寄るよ菜飯茶屋   廣藤 景子

 

 東海道中膝栗毛で弥次喜多の面白おかしい旅が繰り広げられるが、その中に登場する菜飯茶屋が今もあるという。吉田宿(豊橋市)の郷土料理で名物らしい。そこで作者も立ち寄った。「弥次喜多も」と古典と作者とを重ねたのだ。

                          (飯野 幸雄)

 

 

 


    早春の日だまりへ置く植木鉢   浜野真李花

 

 久々の日差し。寒さに耐えた鉢物を日だまりの中へ置く作者のさり気ない慈しみに共感した。〈日だまりへ〉の〈へ〉が光に向かってという事を感じさせる。いつも植物の持つエネルギーには驚嘆する。

                        (水内 和子)

 

 

 

 


  湯上りのけはひの如し芽吹き山    飯野 幸雄

 

 早春の山は白でも青でもまして緑でもない。もやもやとした霞がかった山を湯上りの気配と表現された。例えば子供が風呂に入っている。早く上りたくてムズムズしている子。「だめだめ肩まで浸って10までかぞえてね」とママ。我慢できなくて飛び出す子。そんな芽吹き山を想像する。山は風呂とは無縁のもの、それを〈湯上りのけはい〉!は斬新で何か引き付けられた。

   山を見る目が変わりそう。

                        (田中美代子)

 

 

 


  朝日射し氷柱のしづく歌ひ出す   粟屋紀佐子

 

 軒の氷柱が朝日を受けて、少しずつ溶けてゆき、滴の音も大きく速くなり、まさに〈歌ひ出す〉と詠まれた作者の豊かで優しい感性に惹かれました。春はもうそこ迄と伝わって来ました。

                           (佐々木美登里)

 

 

 

(photo 西濵恵美子)
(photo 西濵恵美子)

(photo   永井勝弘)
(photo  永井勝弘)

  草取りの触れしハーブの香に浸る   小西佐和子

 

 私は冬季になると書斎でアロマの加湿器を使っている。

ラベンダーのエッセンシャルオイルの匂いを嗅ぐと脳が爽やかになる。草取りをしながら自然のハーブのかおりに浸っている作者の日常を思うと羨ましい。作者との面識はないが、以前からこの人の俳句になぜか魅力を感じる。

                          (谷口 博望)

 

 

 


    夏帽子橋かろやかに車椅子   井町佳世子

 

 これは電動車椅子でしょうか。普段不自由な思いをされている方が、ジョイスティックを前後左右自在に操作している姿を思い浮かべました。川風に吹かれながら、時には帽子を押さえながら〈橋〉を渡っている。橋の向こうにはなにか楽しいことが待っているのでしょう。

                      (佐伯 宣枝)

 

 

 

寒鴉わたしこんがらがつてゐる  佳子
寒鴉わたしこんがらがつてゐる  佳子

   相談があると金魚の寄つてくる   藤本智恵子

 

作者の何時かの句に「赤ん坊が眠れば眠る金魚かな」という句があり、金魚も家族の一員なのだと感じては居た。掲句も口をパクパクさせながらまっ直ぐに作者の方へ向かって来た時に、何か言いたい事があるように感じた作者。生き物を飼うと次第に愛情が湧き、家族の一員となるのでしょうね。私の心も次第にほのぼのとしてきた一句でした。

                         (平石かよ子)

 

 

 

 


   黄には黄の赤には赤の薔薇香る    渡辺 春枝

 

薔薇には品種も多く、多彩で花の王とも言われる。それぞれの花には、それぞれの独特の香りがある。写生の中に詩心を感じる一句。

                        (原田 妙子)

 

 

 

 

 

 


降水確率零パーセント鵙の贄  佳子
降水確率零パーセント鵙の贄  佳子

    天の川はるか遥かに埴輪の目   村本 恭三

 

遥かな時間と空間を思わせる、とても感慨深い句として読みました。弥生から古墳時代の埴輪の土器から、遥かな過去を感じられ、また今よりの未来を見ているようでもあり、千年余の時を句の中に感じました。〈天の川〉の季語も素晴らしいと思いました。

                       (定成 俊明)

 

 

 


    休航のつづく待合つばくらめ    藤川 里子

 

何故かしらと思わせる港の風景。休航している待合室の静けさ、侘しさが浮かびます。作者は生き生きとした生命力を〈つばくらめ〉に込め、春を詠まれてをり、静と動の対比の生きている句だと思いました。

                 (青木 洋子)

 

 

蓑虫のある日此の世に呼び出され  佳子
蓑虫のある日此の世に呼び出され  佳子

羊水にまばたく胎児原爆忌  佳子
羊水にまばたく胎児原爆忌  佳子

  十年とて昨日のことよ「花は咲く」  甲島美智子

 

東日本大震災から十年も経ったとは本当に思えません。

「花は咲く」のメロディーは明るく希望に溢れる調べのように思えますが、どこかもの悲しく聞こえるのは私だけでしょうか。

                       (廣藤 景子)

 

 

 


  工事場を労うやうに冬晴間    斉藤久美子

 

厳しい冬、そこにほっとする晴れ間。作者はまるで、人々のみならず工事現場そのものを労っている様だと感じている。

冬空と雲の動き、そして厳しい冬の工事現場の様子が目に浮かんでくるようです。 

                  (堀尾 知子)

 

 


   干柿を十ほど吊し家籠    竹下 玲子

 

コロナ禍で皆さん工夫しながら自粛されていると思いますが、

何気ない坦坦とした暮しを上手く句にされている。

                        (川﨑 里美)

 

 

 



 

  とつくりのセーター脱いで泣く児かな   阿地部エミ子

 

冬の季節、寒くなかろうかと暖かい〈とっくりのセーター〉を着せてもらった子は、首の辺りが煩わしく脱ぎ捨てる。そのような景が浮かびます。 元気で、ちょっと利かん気な子どもの様子がよくわかる句だと思いました。

                    (丸山 康子)

 

  北風吹くや商店街の朽ちた旗     吉尾 隆恵

 

一読、安芸太田町のメインストリートの景。取り引き先の工具店も絶えて、しかし尚この町は魅力的である。吉尾の鯛焼屋は賑わいがあるものの、町は寂しげである。初夏と秋の吉水園の一般公開に開かれる市の楽しさも、コロナ禍の一年は中止となった。風に千切れたような旗もある。この町を歩くと野鍛冶の金打の音が聞こえてくるようである。旗も新しくされ、春の中の町が視えるようである。

               (波谷 櫻女)

 

 

入籍のとどこほりなくゼリーくづす 佳子
入籍のとどこほりなくゼリーくづす 佳子

三行を割愛さくらしべ降るよ  佳子
三行を割愛さくらしべ降るよ  佳子

 

  小春日の終ひ支度をのろのろと   安部  弘

 

暖かくなったこの日、縮こまっていた体が、生き生きしてきて、

色々な道具を出して、あれこれしてみたくなる。

日曜大工でもされたのか。仕上げたことには満足。色々広げた物を仕舞うにしても、日はまだ背に暖かく、充実した一日を思いながら、片付けをするのさえ惜しい様な心持でいる作者。

  心のゆとりを感じた句だった。

                     (河野 由美子)

 

 


 

 あやふやな記憶ころころ椿の実    石田みつ子

  

磨くと光る可愛らしい椿の実。不確実で、〈あやふや〉な記憶は

まるで椿の実がころころと転がるようである。年を重ねると記憶が曖昧になる経験をする。作者の思い出は椿の実(日本古来)

に託している。遠き日の事であろうと推測する。

〈あやふや〉と〈ころころ〉が響き合っている。軸となる季語が、心の不安を楽にしてくれる。椿の実のような人生に共感する。

                        (竹内 睦枝)

 

 

 

副賞のティッシュ一年分芽吹く  佳子
副賞のティッシュ一年分芽吹く  佳子

雨垂れの中のさかしま春待てり  佳子
雨垂れの中のさかしま春待てり  佳子

 月光のひとつの扉選びけり    水内 和子

 

月、月光にはどの季節にも不意に異界や異形が顕われそうな魔力を感じるが、俳句をはじめてから、月は秋の季語であると知った。堀口大学の詩「月光とピエロ」では、悲しい目のピエロが「秋じゃ、秋じゃ」とうたう。秋の月は特に透徹するような光があり、ここではない、ここにはない選択を迫られてしまいそうな気がする。うかうかと月光に魅入られてしまうと、もはやその力に抗えない。

                      (浦島 恭子)

 

 

 

 

 


何事も寄せ付けぬ背や原爆忌    藤綱美智子

 

あの日から七十五年の歳月。物事は十年ひと昔とかたづけるがそんなものではない。当時を経験する人達は皆さん高齢だ。そして決して忘れられる事ではない。かたくなに胸にしまい込んで、多くを語らない気持が分かるはずがない。それを背中が代弁しているのだ。中七までのきっぱり言い切った潔さがある。  

                         (品川 映子)

 

 


綿虫の全身が悦んでゐる  佳子
綿虫の全身が悦んでゐる  佳子

  

  はじめての街なつかしき夕焼かな   柴田 和子

 

対極的な〈はじめて〉と〈なつかしき〉がしっくりと一句に

おさまっている。わかりやすくも、深い句だ。

ビルが林立する地方都市だろうか。漢字表記の〈街〉と

〈夕焼〉に情景が浮ぶ。読み返すうち、人の出会いに 似ていると思った。初対面なのに、不思議と心が通うことがある。

今年も多くの出会いを期待したい。読者の心に広がる一句だ。

                          (叶堂三恵子)

 

 


 

  

 身の染まるまで新緑の遊歩道    大久保信子

 

 若葉の鮮やかな緑が日に映えて美しい遊歩道を歩いておられるのだろう。微風が爽やかな若葉の香りの中で、新緑を楽しまれていることを〈身の染まるまで〉と詠まれているところに共感した。清清しい初夏の感じがよく表現されている。

若葉の息吹が聞こえてきそう。

                    (和木 永次)

 

 

 

 

小鳥くる皇族はアルバム捲る  佳子
小鳥くる皇族はアルバム捲る  佳子

秋の蛇いつしか銀砂まとひつつ  佳子
秋の蛇いつしか銀砂まとひつつ  佳子

  

   ぶらんこを漕ぎて青空うら返す   渡辺 春枝

 

 思いっきりぶらんこを漕ぐと、まるで空がうら返ったような感覚

 が味わえたものです。

  まるで別の世界へ入って行けるような。

                         (長尾良志子)

 

 


 

  輪の中に君がゐるはず花筵   藤本 陽子

 

 お花見をしながら、ふと少し先の花見席を見ると、知人の

 姿があった。あのグループの中には確か‥君がいるはずと

 探している。

 桜の咲くころは、出会いや別れがあり、感傷的な想いが巡る

 。また思い出も甦る。〈君〉という言葉に想像が広がり、ロマン

 チック、あるいは感傷的でもあり、素敵な一句だと思う。

                       (佃  あや)

 

天網や秋の燕の湧き出づる  佳子
天網や秋の燕の湧き出づる  佳子

秋の蛇曇天に閉ぢられし野を  佳子
秋の蛇曇天に閉ぢられし野を  佳子

 

   一輪車のメリーゴーラウンド陽炎へり   西尾 智子

 

 〈一輪車のメリーゴーラウンド〉、唐突な句であるが一輪車を

 使う人であれば思い至るであろう。幼児等を乗せてクルクル 

 回してやると悦ぶ。いつまでも止めさせてくれないのである、

 恐らくコロナウィルスで休園、休校となり作者の日々の奮闘

 振りが視える様である。外出も自粛、庭先の景であろう。

 季語が家族の倖せを現わしている。

                        (波谷 櫻女)

 

 


 

   電柱の負うもの多し冬夕焼    島田六峯夫

 

 電柱の支える電線により電灯がもたらされ、その後、物凄い

 勢いで家電や電信が発達した。

 今や、私たちの暮しはその恩恵なくしては一日たりとも成立

 しない。

 冬夕焼に詩情があり、万物に対する作者の優しい目差しが

 感じられる。

                    (植田トモ子)

 

 

 

あのころの家族冷凍冷蔵庫  佳子
あのころの家族冷凍冷蔵庫  佳子

 

    親指の薄れし指紋日向ぼこ   佐々木順子

 

 近頃は床に落ちたピーナツの薄皮が取り辛い。

 親指に限らず指紋が薄れて、更に油っ気もないからに

 違いない。しかしそれは二足歩行動物に生まれ、長らえた

 者なればこそだと下五が語る。四十数年前の祖父の通夜

 で見つめた、瘦せさらばえたその体に似合わぬ大きくて

 分厚い手を思い出す。

                      (永井 勝弘)

 

言伝のやうに葉桜ひかりだす  佳子
言伝のやうに葉桜ひかりだす  佳子

ヒヤシンス壁の古色をくちぐちに 佳子
ヒヤシンス壁の古色をくちぐちに 佳子

  

    自習室の空気張り詰む冬日射   西尾 智子

 

 図書館か、公民館の自習室。十二月ともなると学生が勉強

 している姿をよく見掛ける。受験生ともなると真剣そのもの。

 小声で話をするのも憚られる程。学生の姿を一切表現せず

 <空気張り詰む〉でしっかり感じとらせている。

 季語の冬日射もびしっと決まっている。

                         (佐々木順子)

 

        ~夕凪6月号(令和2年860)から~ 

 

       


 

    神無月地上に人の常の日々   岡崎宝栄子

 

 神々が集まる出雲以外では、神は不在であるという。

 しかし、そんなことには関係なく、地上には、いつも通りの

 平凡でつつましい人々の暮しがある。

 誰もが平穏無事を願って‥そう読むと<常の日々>が

 心に沁みる。

                      (森川 昌子)

 

        ~夕凪5月号(令和2年859)から~

 

死者送る音楽もなく新樹光   佳子
死者送る音楽もなく新樹光   佳子

春愁をころがす金糸雀の舌か  佳子
春愁をころがす金糸雀の舌か  佳子

 

    萩日和手を見れば母蘇る    松本加代子

 

 遺品や写真で亡き人を思うが、作者は自分の手を見れば

 よく似た母の手が、そして母が蘇ってくる。

 <蘇る>に鮮やかに生前の母に会えたような心持だが、

 表現はきっぱりしていて甘さがない。

 <萩日和>に母への思いは託されていてあたたかさを読み手

 に残してくれる。

                         (水内 和子)

 

       ~夕凪4月号(令和2年858号)から~

 


 

   人間を皆蛍にす爆心地    川崎千鶴子

 

 あの日から七十五年の歳月。ヒロシマの死は蒸発的即死

 とも言われる。爆心地の死は特にそうであろう。

 金子兜太の〈湾曲し火傷し爆心地のマラソン〉を思う。

 過去と現在。死者と生者。その往還を可能にし、未来へ託す

 ものが二つの句に通底する。〈人間を皆蛍にす〉。だが未来

 まで奪うことは出来なかった。蛍が記憶を繋ぐ。蛍は未来を

 指し示す灯でもある。蛍が読み手の心を運ぶ。

                          (佐藤伊佐緒)

      ~夕凪3月号(令和2年857号)から~

 

略歴の没年不詳しやぼんだま  佳子
略歴の没年不詳しやぼんだま  佳子

寒鴉群れて幸福を売る自販機  佳子
寒鴉群れて幸福を売る自販機  佳子

 

    八月の真ん中に置く肥後守    伊達みえ子

 

  この(八月の真ん中)とは、終戦日のことである。

  正義とは、理念とは、自分とは何者かと茫然自失した日で

  ある。八月の真ん中に置かれている肥後守、即ち守り刀は

  戦争放棄を明記した憲法九条である。

  昨今は国際貢献という名の下に改憲論議が活発と

  なっている。情報の操作により、人の意思決定を自分に     都合の良い方に向かわせる、集団洗脳の危険性を認識

  し、確固たる自己を確立することが大切だと思うなど、

  色々なことを考えさせられた句である。

                         (岡崎宝栄子)

       ~夕凪2月号(令和2年856号)から~