「夕凪社」は昭和21年、伊藤踞石を中心に創立、
昭和22年6月、俳誌「夕凪」が創刊されました。
「夕凪社」は創立以来、主宰はおかず、同人代表制の形を
とっています。
現同人代表 水口 佳子
現会員数約 220名
「夕凪社」は“超流派”と“俳句人の自由な生き方と自在な俳句魂”を基本理念とし、地方俳壇の確立を目指して活動を続けています。
本部定例句会をはじめ、各地で支部句会も開かれており、先輩同人たちによる温かい指導も行われています。
★伊藤踞石のこと
・明治28年 広島県三次市三良坂町(旧双三郡三良坂町)生。本名一義。
広島県師範学校を卒業後、県北の小学校の教師、三原女子師範学校の教諭を経て、
昭和4年、広島市立古田小学校の校長になった。
・大正 5年 内藤鳴雪主宰の「常盤木」に投句を開始。
・大正 8年 臼田亜浪(「石楠」主宰)が選をしていた中国新聞の俳壇に投句。
・大正10年 「石楠」に入会、臼田亜浪に師事する。同年三次に「石楠」の支部「北備盟楠会」を、昭和2年に「三原盟楠会」を結成。
・昭和 8年 機関誌「水郷」を創刊。
・昭和12年 機関誌「迫門」を創刊。(長くは続かなかった)
・昭和 8年~16年 観音小学校、大手町小学校、中島小学校などの校長を歴任し、その間教職員を多数、俳句に引き込んでいる。
・昭和21年 和多野石丈子、西田紅外、久保田亭路、高井正文らと諮って俳句結社「夕凪社」を設立、22年6月、俳誌「夕凪」を創刊、主宰となった。
「俳句の郷土性と大衆性」(踞石氏創刊の言葉)
「流派超越」「地方俳壇の確立」(夕凪の指針)
・昭和26年 6月没。以後「夕凪」は主宰制をやめ、同人誌となった(高井正文同人代表)
葱提げて焦土の果の虹あふぐ 伊藤 踞石
(夕凪創刊15周年記念句碑)
・・・「原子野」と題する伊藤踞石句集の中の一句。「(この句は)・・・生きる望みと俳句への夢が甦っていたのを自覚した一句だった・・・」と自解している。
・・・焦土の下には幾万もの死者が眠っている。虹は希望のようでもあり、また原爆投下によって亡くなった人々の果しえなかった儚い夢のようでもある。
作者はまさに生きていくための「葱」を提げ、その虹を深い思いで眺めているのである。ささやかな「葱」、しかしそこには生きているものだけが感じることのできる生活の実感がある。